辻よし子と歩む会
TOP プロフィール メッセージ 議員活動報告 市議会レポート くさしぎ 歩む会通信 歩む会へのお誘い お問い合わせ 辻よし子 on facebook

+ + + あきる野市議会議員辻よし子の議員活動報告 + + +

2017.9.13
環境建設委員会が終わりました

辻よし子です。

本日、環境建設委員会が開かれました。

私にとって、2つの大きな審議がありました。

まず、そのうちのひとつについて報告します。
それは、あきる野市生物多様性保全条例の制定についてです。

「生きもの会議」という専門家や市民の入った委員会で検討され、担当課の職員の方々も本当によく努力され、
練り上げた素晴らしい条例案だと思いました。
ただ、第1条の目的のところで、希少生物の保護がこの条例の目的である、と謳っていることに、どうしても引っかかってしまいました。
生物多様性保全条例であれば、やはり、生態系の保全、種の保全、遺伝子の保全という包括的な生物多様性の保全を目的として明記し、
その上で、この条例では特に希少生物の保護について必要な事項を定めている、とすべきではないかと考えたのです。
悩みに悩んだ末、修正案を提出しました。
行政側の原案に対して議員が修正案を出した例は、あきる野市議会では、予算案を除けば未だかつてなかったようです。
修正案の作成や提案の仕方などについて、議会事務局にもお世話になりながら準備をしました。

私としては、修正案に変えた方がよりよい条例になるという確信があり、それなりに説得力のある理由を示したつもりだったのですが、
見事に、全委員に反対をされました。
正直、どこまで真意が伝わったのか……という思いは残ります。
何しろ、中には、「生態系の保全には難しい問題があるので、希少種の保護に限った目的の方がいい」という趣旨の、発言も飛び出しましたから……。
ただ、チャレンジしたことは、本来の議会の役割を考え直す意味でも、無駄ではなかったと思います。

修正案が否決された後に、原案の採決がありました。
1条を除けば、すばらいしい条例案ですので、気持ちを切り替えて原案には賛成をしました。

環境建設委員会の、もう一つの報告です。

引田駅北口区画整理事業の見直しを求める陳情の審議です。陳情は約2000名の署名と共に提出されました。
あきる野市では陳情者が陳述をできるしくみになっています。
これは良いしくみだと思いますが、別室に移って委員会の所属議員しか聞けないという点が問題です。
他の傍聴者、や行政側にも聞いてもらい、議事録にも残すべきだと思います。
これも今後の課題のひとつです。
今日の陳述者の方は、とても落ち着いて、不条理な区画整理事業の問題点を明快に話されました。

審議の最初に、私から、「市長は1950名の人々が見直しを求める署名をしたことの重みをどう受けて止めているか」と質問したのですが、
「議会に提出された署名だから答える必要ない」「中身を精査しないと答えられない」と、最後まで答えようとはしませんでした。

今日の委員会では、「区画整理事業ありきで進めてきた行政の責任」「少数者が犠牲になるような区画整理事業は許せない」という視点で、
問題を深めたかったのですが、途中で何回となく自民党議員から「陳情に関係のない質問だ」と批判され、
さらに、後半の討論では、自由討議そのものに否定的な議員もいて、まったく自由討議にならず、悔いの残る審議になってしまいました。
改めて、自分の力不足を痛感しました。たくさんの署名と共に陳情を出された方々に申し訳ない思いです。

そして、今日の委員会では、もう一つ、どうしてもはっきりさせておかなければならないことがありました。
それは、先日の一般質問で出された、自民党議員の成田闘争に対する問題発言です。
「成田の農民たちは、最初は反対をしていたが、理解が出来てほとんどの人たちは賛成に回った。
残されたのは全学連とそのOB。そして、その人たちが管制塔に突入して終わりになった。
その状況と引田の区画整理の今の状況が非常によく似ている」という内容の発言です。
このことについて、今日の委員会で以下のような発言をしました。

「A議員の発言には、成田闘争の歴史に対する許し難い誤認があります。
管制塔の突入は1978年。その時も、その後も、ずっと長く反対し続けた農民たちがいます。
そして、当時の運輸大臣が反対派の農民に会ったのは、それから12年後の1990年です。
その翌年、国は、それまでの成田闘争を反省し、反対派の要望を受け入れて、いかなる強制的手段も取らないと約束したのです。

成田闘争では、警察官が3人、反対派が一人亡くなり、若い農民青年が自殺をしました。
自殺した仲間の思いを背負って今でも、反対し続けている農民がいます。
そして、農地を強制収容された貧農のおばあさんの悔しい思いを晴らすために、裁判で土地を取り返し、
今も、空港の敷地の中で畑を作り続けている人がいます。

A議員の間違った歴史認識による発言は、生活をかけ、いのちをはって、
農地を守り続けた農民たちに大へん失礼な発言であり、議員として、許し難い発言です。

先日、千葉県の県議会議員、元県議会議員、そして、千葉県庁の総合企画部空港地域振興課に直接連絡をして、成田闘争に対する見解をうかがいました。
そこで共通して話されたことは、千葉県は、行政として、成田空港を作ろうとした当初に、
大きなボタンの掛け違えをしてしまったことを、深く反省しているということです。
そして、その教訓をもとに、地元の人たちには、丁寧な説明を心がけ、互いの理解を確かめるために、確認書を交わすようにしているそうです。

多くの犠牲を払った成田闘争で得た教訓とは、行政が一方的に強硬に事業を進めてはいけないということであり、
そのことを千葉県では今も反省をし、教訓を活かす努力をしています。

引田駅の区画整理事業について、成田闘争の例を引き合いに出すのであれば、この教訓をあきる野市でも活かさなければならない、
ということなのではないでしょうか。

A議員は、歴史認識の誤りについてどう思いますか。
また、成田闘争と引田駅の区画整理事業と一体どこが似ているのでしょうか。
その2点について、A議員のお考えを、お聞かせください」

この発言の途中で、複数の自民党議員から、私の発言をやめさせるようにと声が上がり、結局、A議員が答えることはありませんでした。
議員は、議会での発言にはもっと責任を持つべきであり、その発言内容に直接関わる審議の中で質問をされたのですから、
なおさら答える責任があるはずです。

ある程度予想された結末とは言え、後味の悪い最後となりました。
もっと違った追及の仕方があったのか……。
自分自身の経験の浅さや力不足を感じた1日でした。

 <<< 前の記事      次の記事 >>> 


©copyright 2014- 辻よし子と歩む会, くさしぎ・草の根市議と市政を考える会