+ + + あきる野市議会議員辻よし子の議員活動報告 + + +
2018.01.03
第2の戦後を歩んで来て
辻よし子です。
7年前までのお正月、つまり2011年までの正月は、私にとって、素直に新年を迎えたことを喜べるお正月でした。
しかし、6年前のお正月からは、心の底からおめでたい気分には、なかなか、なれません。
何か境になっているか、それは言うまでもなく、福島原発事故です。私にとっては、福島原発事故以降、社会の見え方が全く違ってしまいました。
福島原発事故は、私にとっては、人生観が変わるほどの大きな出来事でした。あの事故が起きたとき、あるジャーナリストが、
「今は、戦後と同じか、それ以上かもしれない」と表現しましたが、私もその通りだと思いました。
この事故によって、世の中の価値観、特に、経済に対する見方が大きく変わったはずでした。
それまで築き上げてきた物、あるいはそう錯覚していたものを、失ったのだと思います。
敗戦に等しいほどの打撃を私たちの社会は受けたはずでした。
豊かさとは何か、平等とは何か、正義とは何か、もう一度深く考え直さければいけない、崖っぷちに立たされました。
私は、原発事故後、しばらくの間、毎日を茫然と過ごしました。見慣れた自然の姿を見てもすぐに涙がこぼれました。
そして、その中で必死に考え、友人と語り合い、見出した一つの答えが、自分自身が、それまであまりにも政治について無知であり、
人任せにし過ぎたということでした。その苦々しい思い、後ろめたさ、悔しさが原点になって、政治の世界に飛び込むことになりました。
それまでの私にとって、議員になるなどと言う選択肢は全くありませんでした。
ところが、原発事故から6年10か月。いわば、第2の戦後をがむしゃらに過ごし、新しい社会のあり方を求めてきたはずだったのに、
ふと周りを見渡せば、日本は再生するどころか、想像もしなかった軌道を辿り、今、坂道をごろごろと転げ落ちているかのようです。
原発に関して言えば、あの事故をきっかけに海外では脱原発へと政策を大きく転換した国があるにもかかわらず、
当事者の日本は、恥ずかしげもなく、原発再稼働へと突き進んでいます。そのことを象徴するように、埼玉県議会が、昨年末に
「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を求める意見書」を採択しました。
原発事故で故郷を追われた人々、その中で自死を選ぶしかなかった人々、甲状腺ガンに苦しんでいる子どもや家族、
原発事故で様々な被害を受けた人々……そうした人々を置き去りにして、再び愚かな選択をしようとしている……
それが、残念ながら今の日本なのです。
そして、もうひとつ語らなければならないのが、戦争のことです。
「国民はみんな戦争が嫌いだけれど、国民を戦争に巻き込むのは簡単だ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。
そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ」
これは、ヒットラーの下で国家元帥を務めたヘルマン・ゲーリングの有名な言葉です。
人々を戦争に駆り立てるには、仮想敵をつくること。まさに、今の日本にぴったりの言葉ではないでしょうか。
安倍政権は、北朝鮮に対する国民の恐怖感を、煽りに煽っています。
Jアラートを鳴らし、学校の子どもたちにまで避難訓練を強制しています。これがいかに無意味なことか、
分かっている大人はただ腹を立てるだけで済むのかもしれません。しかし、子どもたちの心の中には、
北朝鮮に対する恐怖心が間違えなく植え込まれています。
こんな馬鹿げたことがまかり通る時代、それは、過去の戦争の始まりの時代と非常によく似ているのではないでしょうか。
北朝鮮のミサイル発射について、ほとんとすべてのメディアは、北朝鮮が挑発行為に出たと報じています。
しかし、本当にそうでしょうか。軍事大国のアメリカや日本を挑発して、いったい北朝鮮に何の得があるのでしょうか。
ケンカをすれば、すぐに負けると分かっている相手を、本気で挑発する国があるでしょうか。
北朝鮮は、「挑発」をしているのではなく、自分たちのありったけの軍事力を必死で「誇示」しているに過ぎないのだと思います。
自分たちだって負けてはいないぞ、核ミサイルだって跳ばせるんだぞ、強がって見せているだけであるように感じます
むしろ、挑発をしているのはトランプ大統領率いるアメリカであり、それに追従している日本の側です。
そのことが、非常に危ない状況を作りだしていると言えます。アメリカが北朝鮮を挑発し、追い込み過ぎてしまえば、
北朝鮮が突発的行動に出るかもしれません。
窮鼠猫を噛むという事態です。
また、何かちょっとした事件が起きれば、トランプ大統領はそれを口実に限定的に北朝鮮を攻撃するかもしれません。
すなわち戦争の始まりです。
どこが戦場になるかと言えば、それはアメリカではなく、朝鮮半島であり、米軍基地のある日本になることでしょう。
すでに、その事態を想定した日米の訓練がおこなわれていると言われています。
このタイミングで、安倍政権が急ぐ9条改憲とは何を意味するのでしょうか。
なぜ、自衛隊を憲法に書き加える必要があるのでしょうか。
答えは明らかです。
自衛隊を海外で戦える軍隊として、憲法で宣言するためです。
自衛の名の下におおっぴらに戦争ができる国になること、それもアメリカの属国として……。
すでに、日本の平和憲法は、「憲法解釈」という姑息な手段で、主権者の意志を真に問うことなく、次々と骨抜きにされてきました。
その総仕上げが戦争法(安保関連法)であり、最後の留めが9条改憲と言えるのではないでしょうか。
北朝鮮の「脅威」は、そのための、またとないチャンスなのでしょう。
これが、坂道を転げ落ちている、今の日本の状況だと私は思っています。
軍隊は、国益を守るために人の命を犠牲にする暴力組織であり、国益による恩恵は、決して公平に分配されることなく、
権力者に集中するということを、忘れてはなりません。
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